しあわせを自分でつかむ方法はあるのか?

大好きニャンニャン!!ネコちゃんたちは、あったか〜い暖炉というしあわせを自ら選択している。

しあわせを選ぶことは、わたし(僕)にはできないし、
それは特別な人だけが神様から与えられたものだろうと思う人多いのではないでしょうか?
ぼくもその一人でしたが、考え方を根元から変えました。
しかし、しあわせは、誰にでもできることであり、選ぶことが可能です。

ただ実際に、しあわせを選ぶことに慣れていない人(そんなのできっこないとか運のいい人だけとか)は、
しあわせを選ぶことに、むずかしさ感じるかもしれません。

結論からいうと「しあわせを選ぶことになれてしまえば(習慣化する)いい」ということです。

つまり、しあわせでないことを選ぶとは、例をあげると

・文句=食べ物、人、ものなど
・愚痴=だれだれが悪い、あいつが悪いなど
・不平や不満=だれだれはお金持ちでいいな、今の給料は安くてなど

を選ぶことが習慣になっているのです。

では習慣を変えるには、どうしたらいいのか?自分自身の意識と行動が必要になります。

まず、意識とはどういうものかというと、

・「わたしは幸せを絶対選ぶんだ」という決意。

・「わたしは幸せを進んで選んでいい」という自分へのこころに許しをあたえること。

・「わたしは幸せを絶対に選びたいんだ」と自分のこころに素直に認めること。

行動とは、

・「自分自身が決心してしあわせを選ぶ」こと。

それだけです。シンプルです。

「しあわせを選ぼう」と意識して、「しあわせを選ぶ」だけなのです。

自分自身のこころの目で、意識するのができないのか、あるいは行動するのができないのか、

よ〜く観察してみてください。

そうすることにより、自分がどう意識して、行動しているのかがわかります。

(例2)

・「人に、会社に、妻に、恋人に、好きな人に認めてもらいたい」とか、

・「○○さんに、妻に、夫に、理解してほしい」だったり、

・「世間、社長、上司にすごいと言われたい」だったり etc...

幸せを選ぶことよりも、(例2)のような意識が優先しているために、しあわせを選択できないのです。

「そうなんだ。ぼくは幸せになりたいと思っていなかったんだ」と、
この文を書いているいま考えていることに、ショックを受けていますが、それでもいいのです。

自分が考えていることを知ることができると、「このままでいい」「ここを変えたい」と、選択肢が生まれます。

しあわせを選ぶことは、わたしたちが思っている以上に、じつは多く存在しています。

ある出来事について、それをどう捉えるかは、自分で選べます。

たとえば、最近あったことで、ぼくはある製品を買いましたが、不具合が多く返品を2回しました。

「苦情の問い合わせが多くて、この会社はたいへんだな。お客さんに喜ばれる製品を作ることが大切なんだな。

しかし誠意をもって何度もメールでやりとりして迅速に対応してくれてなかなかいい会社じゃん」

と思うこともできるし、

「ああ、最悪の製品買っちゃったよ。おれってなんてついてないんだよ〜。」と思うこともできるのです。

なにか出来事があったときに、ちょっと立ち止まって、頭を巡らせて、幸せを選ぼうとすると、

見つかるものなのですね。

ちなみに、しあわせ上手の人は、悩むのが下手なんだとか。そのとおりだと思う(笑)
悩んでいる自分に、心底疲れてしまうんですね。
もしかしたら、それすら自分で気がつかない人がいるかもしれない。

悩むのが下手だなと思ったら、しあわせ上手への道を歩いていると思って、いっぱいしあわせを感じてください。

最後に、
シンプルなことほど、実行に移すのがむずかしいのです。
ぼくもそこが壁になっています。超えてみせますよ。かならず!!
ある尊敬する方の文章を、自分なりに解釈して書きました。