地元FMラジオ局を聴いて感じたこととは?

地元FMラジオ局を聴いて感じたこととは?
自分の目の前で起こることは、
自分のこころを写し出している。この出来事は、僕にどんなことを伝えたいのか?そのメッセージを受け取りたくて考えてみた。

パーソナリティーを務める彼女は、東京都出身。以前は栃木県のTVでアナウンサーを務めたことがある。今回ラジオパーソナリティーに初挑戦するということで、今年で確か1年6ヶ月位?務めている。
朝聴いていたら、どうやら風邪のようでガラガラ声であった。自分の思っていることを正直に書いていきたい。
聴いている立場として、いい気持ちはしなかった。だってラジオって声が大切でしょう。声から情報を得るものだから。以前J-waveの朝の番組を聴いていたら、パーソナリティー別所哲也さんが1週間の休み明けで声がガラガラであった。聴いていて、いい気持ちはしなかった。Twitterでも「声が最悪、別所を休ませろ」などの声も聞かれた。

今回のガラガラ声になってしまった、女性パーソナリティーについて色々考えてみた。

彼女は、なぜ風邪を引いてしまったのだろうか?週明けに早起きをして奥日光へ紅葉を見に行ったって言ってたけど、あそこは標高1300mもあるところで、早朝はとてつもなく気温が下がる。暖かい格好で出かけたのだろうか?それと知らずに普通に宇都宮市内の早朝を想定した服装で出かけたのか?
都会の人はこの気温のギャップに気づかずに普通の服装で出かける人が多い。そこで風邪をこじらせてしまうことが多い。きっとこれが原因だと勝手に想像した。

まあ起こったことは仕方がない。ここからが問題である。番組の管理体制はどうだったのか?ここが大切である。番組はパーソナリティーが全部作っているのではない。ディレクターやアシスタント、リポーターなど様々なスタッフのグループで作られている。

ぼくがパーソナリティーだったらどうしたか?風邪気味で声もあまりいいほうではなかった前日。次の日の番組の責任者にもしかしたら声の調子が悪いので、大事を取って、だれか代替えのパーソナリティーを当ててくれないか?と打診したと思う。だって、栃木県と近県にまで電波が届いているのだから。ラジオだから聞いている人は少ないとか、番組が面白くないとかそういうレベルではない。色々な環境で聞いている人がいると思う。
たとえば、会社が休みで聴いている人、子育て中のママさん、車の中で聴いている営業マン、トラックの運転手さん、行楽地に向かう観光客、農作業しながら聴いている農家のかた、会社の中、引きこもりの人などなど。聴いている人数は想像できないが、最低数千人?くらい聴いているのではないかと。
それとも代替えパーソナリティーにしてほしいという要望を聞き入れない会社なのか?それとも万が一のピンチヒッターなど想定していない管理体制なのか?聴いていて思ったのが、女性管理職のパーソナリティーが朝家事をしながらこのガラガラ声のパーソナリティーに危機感を覚えて、あわててラジオ局へ行ったそうだ。放送後1時間半後、女性管理職のパーソナリティーの声に変わった。ピンチヒッターがマイクに向かうまでの間にラジオを聴いていて思ったのは、このままこの女性パーソナリティーはガラガラ声でしゃべり続けるのかと思った。これはまずいなと。リスナーを不安や不快にさせていいのかなって思った。
まあ聴いているほうは、聴きたくなければチャンネルを変えればいいだけであって、問題はないが、番組の進行はそうはいかない。誰かしら聴いているひとがいるからだ。万が一朝一番で大地震が発生したら?声にしてそれを伝えなければならない。声が出なくなってしまった。どうしようって訳にはいかないでしょうと思った。

この女性パーソナリティーは、自分の意志(代替えパーソナリティー)を番組制作の責任者に伝えたのか?
会社や番組スタッフとの人間関係は良いのだろうか?
あなたの声は、ラジオを聴いている、聴いていないとか関係なく、栃木県民の代表だという意識は持っているのか?あなたの声が、栃木県のイメージを良くも悪くもすることができてしまうのだと。
このガラガラ声のパーソナリティーの番組に出会ってとてもいい勉強になった。
この件は、番組スタッフや会社組織も含めてすべての人に責任があると思う。番組や放送はパーソナリティー一人で作っているのではないのだ。自分は朝の番組とは関係ないからとか思っている人がいるのであれば、それなりの放送局や会社組織だと思ってしまう。会社は、社長や上司の考え方や価値観から、どんな会社か分かってしまう。

以前おとなりの群馬県のFM局を車で聴いていたら、とても誠実で、ていねいな言葉で地元の人とのやりとりする番組だった。こんなに違うのかと驚いた。もちろん番組内容や、パーソナリティーのレベルでの意味である。
声がいいとか、しゃべりがうまいとかのレベルではない。
そこにはうわべだけではない、気持ちのこもった言葉が電波から伝わってきたことの感動であった。

消極的な県民性と、目立った所がない栃木県。僕も含めていろいろ考えさせてくれた出来事だった。
決してラジオ局やパーソナリティーを批判したくて、ここに書いているのではなく、この出来事を通して、どのようなメッセージを僕に伝えたかったのかが知りたくて、自分の思っていることを素直にここに書いた。
いろいろな気づきを提供してくれた、ガラガラ声になってしまった女性パーソナリティーに感謝します。