ブログを書くことの意味とは?

ブログの定義とは→「WebをLogする」という意味でWeblogウェブログ)と名付けられ、それが略されてBlog(ブログ)と呼ばれるようになった。
ブログの始まりは、自分が気になったニュースやサイトなどのURLを、寸評つきで紹介した英語のウェブサイトとされる。その後、BloggerMovable Typeなどのブログ用のツールが出現し、本格的な拡大が始まった。米英によるイラク侵攻においてイラクから更新されるブログが話題となり、その知名度を大きく引き上げる結果となった。

参考:ブログの定義とは?

ブログをやっている人は最近多いが、目新しいものという感じはなくなってきた。

TwitterFacebookなどのSNSがここ数年の間にやる人が増えてきた。
ブログを含めたSNSは、情報の共有やコミュニケーションに利点があると思う。
特に今年の3月に起きた大震災の時には、良い情報やデマも含めて「情報の共有」が実証できた。

ただしいいことばかりではない。人のモラルも問われることになる。
女子短大生が、ファーストフードに一人でいた男性をTwitterで、容姿を誹謗中傷しながら写真入りで投稿。
こちらも確か女子短大生が、地下鉄に乗っていたお年寄りの男性の前歯がない写真を面白おかしくTwitterで投稿。

参考: http://blog.livedoor.jp/fnf/archives/4868362.html

最近感じるのが、実際対面で話をすることをしないで、自分が情報を発信するSNSは、周りの状況を想像して、ワンクッションおいて吟味して投稿するべきではないかと思う。
一番いいのは、相手が目の前にいて対面で話せるような状況が一番いいのだが。
岩崎夏海氏が以前ブログで、Twitterはしないし、将来いずれはなくなるメディアだと言っている。

参考:Twitterでの議論について

この間あるブログを読んでいてハッとするものを読んだ。
ラジオで喋っているイメージとブログで書いた内容が、本人と違うというイメージをラジオを聞いている人から言われたようで、本人がとても納得いかないようだったようだ。
ブログは、個性が出るし、会ったことがない人の文面を読むと、もしかして悩んでいる?とか勝手なイメージを持ってしまうことがある。
やはり会ったことのある人など面識がある人だと、このような誤解を解消できるかもしれない。文書だけだとむずかしい。
だから具体例や、短文でその人がイメージできるような文を作る必要がある。
それができる人が、Steve Jobsだった。
彼は短い言葉や写真や絵で製品の魅力を人々に伝えるのがうまかった。

面白いブログを発見した。

ひこやんの月に代わっておしおきをしてくれ

地元のラジオリポーター。
プロフィールの写真と現在の写真がちょっと違うところが、何か面白い人だなと思わせてくれる。
そして面白い文を見つけた。

「ひこやんのブログ読んでると、ひこやん、寂しいプライベートを過ごしてるんだな〜と思うよ」

パーソナリティーやスタッフが女性の多い職場なので、思いっきりつっ込まれたんだろう。

実はこのひこやんのブログを注目していた。
・文書が短かったこと。
・偽りなく本人の言葉で文を書いていた。
・書く内容をどうしようか悩んでいるようだった。

最初ブログを読んだ時には、特徴があるなとおもった。
きっと書くことに悩んで書いているのだなと思った。
文書は短く、スタッフの紹介や思いついたことを一つ綴って終わりというのがパターンだ。

おもしろいと思わせる理由が他にある。
ブログにのせている「写真」だ。本人の垢抜けた笑顔。
これは文書と写真とマッチしている。
ラジオから聞こえる声も垢抜けている。
テンションMAXで聞こえてくる声は元気をもらえる。
あと今のところ声に嫌みがないところがいい。

きっと寂しがりやなところがあるかもしれない。
会社では話好きで明るいけど、家に帰ると喋らないで静かという人がいる。


ブログも飾ろうと思えばいくらでも飾れるし、
嘘を書こうと思えばいくらでもかける。
ぼくはブログについては本心で書こうと努めている。
周りの状況も考慮しながら、できるだけ本心で自分の感じていることを。
自分の心を見つめ直すためのlogのために。

ブログは個性が出る。よくも悪くも。