鏡は自分のこころを写している

※ みなさんが理解できないまたは受け入れられない内容もあるかもしれません。そういう時は拒絶して下さい。そして心で感じるものだけを受け取って下さい。

私たちは"自分が思い描いた現実の中"で生きています。


そう言われても「あの腹のたつおっさんはどうなんだよ?」と言うかもしれませんが、"すべて自分"が創りだしています。


例えば、会社の社員が3人いるとします。

管理職のAさんは、社長に「管理職なんだから部下にもっと仕事を取ってくるように言いなさい」といつも叱られてばかりです。

営業職のBさんは、新人社員の面倒を見るのが忙しく管理職のAさんと社長にもっと仕事を取ってくるようにといわれています。

新人のCさんは、いつもBさんに仕事を教えてもらって大満足です。



この3人の社員の社長は一人しかいません。

でも、管理職のAさんと、Bさんは社長のことが大嫌いです。

でもCさんにとって社長は嫌な存在ではないのです。

どうして同じ社長さんなのにこうも社長像が違うのでしょう?


これと同じ事を私たちは一般社会の中でやっているのです。

「あの人は私に良くしてくれるから大好き」

「でもあの人はいつも文句ばっかり言ってくるから大嫌い」

と、このように人によって、また"自分にしてくれる行為や言動によって好き嫌いという感情が出てきます"


Cさんにとっては何とも思わない人でも、AさんやBさんにとっては大嫌いな人になります。

「あの人とは性格が合わない」ってよく聞く言葉ですね。


でも"その好きとか嫌いとかを決めているのは自分自身"なんです。

どうでもいい人は、好きでも嫌いでもないはずです。

言い換えれば、"気になる存在だからこそ好きとか嫌いとか言う事になる"のです。


道を歩いている通りすがりの人々は、普通の人達で、自分にとってまったく関係のない人達です。

同じ職場でも、ほとんど話をしない人々は単なる通行人でしかありません。


自分に関わる人しか自分の対象物でなく、"自分の世界を創っているのは、まさしく自分が気になる人々だけだ"ということが分かります。


そしてその人の行動や言動が、自分の意に反していると嫌いになります。

ただそれだけなのです。

すべての基準は自分自身にあって、自分の基準を満たしているかが、好き嫌いの基準でもあるのです。

もしどうでもいい自分だけの基準がなかったら、みんな単なる通行人でしか無いことにみなさん気づきましたか?


周りの世界は「映画のスクリーンの中の世界」です。

そのスクリーンに向かって、文句を言っているのはあなたです。

登場人物を批判しているのもあなたなのです。


映画の出演者は自分の役を演じているだけであって、あなたに危害を加えることはありません。

たとえそれが殺人犯の役をしていてもです。


あなたはどうでもいい映画の物語に勝手に飛び込んでいって、この殺人犯に向かって「人殺しはダメよ!」といって殺されてしまうかもしれません。


でも、あなたが意識を向けない限り、映画の世界は映画の中だけの世界です。

"あなたが何処に焦点を合わせるかによって、自分の世界が変わります"

だから鏡は自分のこころの反映なのです。